en学習会 

塾でのさまざまな事から幼児教育について、ありのままを書きます。ホームページ https://engaku.grupo.jp/

3.11 当時と3年後の記憶

9年前のあの日

当時、島根県の中学校に勤めていた
ちょうど卒業式が終わって
職員室に帰ると、スマホを見ていた誰かが
やばいことになってると騒ぎ始め、
職員室のテレビをつけた。
そこで初めて、何が起こっているのか
知った。

状況がわかってくると、
ボランティア?支援物資?
何かしなければと思ったが、
なにをするにも、時間とお金が
なかった。本当に無力だった。

そして、この塾を立ち上げる事を念頭に
学校勤務に区切りをつけ、
長期休みができた時、
今だ、行こうと思った。

日程は、約2週間
現地がどうなっているかを見たかったのと
復興支援につながるかということで観光
少しでも何かという気持ちが強かった。

現地でお金を使いたいので、
道中は基本車中泊
当時は、エッセ(チョロQのような車)で
後部座席を倒し、布団を積み込んだ。
激狭だか、意外と快適だった。

全行程
島根~富士山~東京~福島~栃木~岩手~宮城~茨城~東京~島根
(東京から北は、行きは内陸側を通り、帰りは海岸沿い)

どこに行っても、島根ナンバーというのが
珍しいようで、よく声をかけられた。
「島根から来たの!?」と驚いた様子だった。

ご当地の名物をしっかりいただきました。
ほんの一部ですが、
仙台では牛タン、栃木の餃子
福島のなみえ焼きそば
↑有名店で当時は移転中
そこでは、お店のお母さんに
鈴が入ったお守りをいただきました。
本当にありがとうございました。
今でも車に乗せてあります。
焼きそばは、今まで食べたことのない
驚愕的なうまさで、また上にかける七味も絶品
2瓶お土産に買いました。

現地を回った感想ですが、
3年後ということで、
復興は進んでいましたが、
至ることろに爪跡が残っていて
衝撃の連続でした。

大量に積まれた車
広い更地の中、ポツンと残された
一軒家(おそらく、震災後そのまま)
その近くにあったお地蔵様

道の駅に寄った時も
「ここまで水がきました」
と、2階の天井付近に矢印があった。

この旅一番の衝撃だった話
そのままを書きますので、
気分が悪くなられるかもしれません。
申し訳ございません。

 

海岸から少し入った山中にあった
ダイハツに車を見てもらった時、
そこのお父さんお母さんに
当時の話をききました。

地震で、店舗の大きなガラスが全て割れ、
当時は何が起きてるかよくわからなかったと。
地震で停電していて、津波のことは知らず
その日、(おそらく津波が引いた後に)
海岸通りにとめてあった車を取りに行った所、
津波が来た事を知った。

その時、海岸で見た光景・・
あたり一面水浸し
がれきが浮き
電線に人がたくさんぶら下がっていた

それからも、原発事故の事もあり
線量測定器を10万?くらいで自腹で購入
原発事故の説明会では、
原発が影響したという証拠がない」
と言われた事や
震災後の漁業で
取ったタコがやけに大きく育っていて
切ってみると、中から大量の髪の毛が出てきた話

どれもこれも
現実とは思えない話ばかりで
理解するのに時間がかかった。

それでも、県外から来た私に
皆さん優しく、話をしてくれたり
困っていたら手を差し伸べたり
人は本当に暖かかった。

おそらく、こんな話はほんの一握りだと思うが
聞けてよかった。
やはり、実際に経験しないとわからない事が多く
想像以上の過酷さが伝わった。

毎日平凡に生きていられる事が
いかに凄いことか知った気がします。

また、お金を貯めて
今度は子供たちも連れて行けるよう
日々精進です。